◆後三年合戦とは

 

平安時代後期(1083年~1087年)
現在の秋田県横手市と仙北郡美郷町を舞台に戦われた合戦。

 

前九年の戦(1051年~1062年)に勝利した清原氏は、東北地方に覇を唱えた。

それから20年。
清原一族には、それぞれに父母の違う三人の兄弟がいた。

清原武貞と正妻との間に生まれた嫡男、宗家「真衡」

藤原経清と有加一乃末陪との間に生まれ、前九年の戦で、母とともに清原武貞に引き取られた「清衡」

清原武貞と有加一乃末陪との間に生まれた「家衡」

 

権力集中を目論んだ嫡男真衡を発端にして、清原一族に内紛が生じる。そこへ陸奥守に赴任した源氏の棟梁「八幡太郎源義家」が介入、

事態が大きくなっていく。

この内紛は、当初「真衡」対「清衡、家衡」の構図であったが、真衡の急死により、清衡と家衡の対立へと移行、清衡には源氏が味方についた。

そして寛治元年(1087年)金沢の柵の攻防において、清衡と源氏の勝利となり、家衡は斬首、ここに清原一族は滅亡となる。

 

戦後、源氏に対して朝廷は私戦と見なし、源氏は恩賞も得られずに奥羽から引き上げることになるが、その後、義家が自身の領地を切り分けて配下に与えたことから、主従の結束が一層進み、のちの武家社会へと発展していったと言われている。

勝ち残った清原清衡は、奥羽の覇者となり、後に姓を父方の藤原に改め、平泉に鎮魂の浄土を築きあげていく。

 

後三年の合戦は、源氏の躍進、奥州藤原氏の誕生、そして平泉の黄金文化、中世武家社会の形成の要因になる重要な出来事となった。
 

 

後三年合戦

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